About us
照桑福祉会について

Philosophy
成り立ちと想い

戦後のお寺からはじまった、
子どもたちへの想い

第二次世界大戦後、私たちのはじまりの地である玉里村は農業が盛んな村として全国に知れ渡っていました。当時保育園などはなく、農繁期には大人から中学生まで農作業に出払っていたため、その間に一人遊びをしていた幼い子が池に落ちてその命を落としたり、けがをする事故が相次いで起こっていました。
そうした痛ましい事故を耳にした当時の照光寺住職・戸田見誠と妻マス子は、「子どもたちを守ってあげたい。お寺の庭で面倒を見てあげよう」と一大決心をしました。その決意に賛同いただいた照光寺総代さまをはじめ、地域の皆さまのご協力のもと、1959年(昭和34年)に照桑福祉会の母体がうまれることとなったのです。

法人理念 命を守り、心を育てる

Special Message
ごあいさつ

私たち照桑福祉会の運営理念は「子どもの命を守り育てること」。この想いの核となっているのは、第二次世界大戦後の復興の中で、子どもが安全に育つ環境がまだまだ未整備だった時代、創設者である寺の住職夫妻がその命を守ろうと本堂で地域の子どもたちを預かったことにあります。それから60年を超えて時代や地域のニーズに合わせてさまざまなことに取り組み地域に貢献してきました。これからも子どもに関わる事業を深め、展開し、地域で必要とされる存在であり続けたいと思っています。

これからの時代は、個を大切にすることを前提として、日々の激しい変化に対応できるようなしなやかで強い組織運営が求められます。大変な時代を生き抜きかつ次世代を作っていく子どもたち。その人生の始まりである重要な時期に、私たちが全身全霊で力を注ぐことがきっとその子の人生を豊かにすることでしょう。私たちはこの想いに共感する、子どもへの熱意溢れる仲間を必要としています。

現代の生き方は、生活スタイルや仕事とプライベートのあり方が多様化しており、今後ますます変化していくと思われます。私たちは、職員の皆さんが仕事のやりがいとプライベートのバランスが調和のとれた生活を送ることができるように、マネジメントしていきたいと考えております。

法人業務執行理事(玉里第二保育園園長)戸田 見良

Our Business
事業展開

幼児教育の先駆者として、
地域の子どもたちのために

農繁期の保育所としてはじまった私たちの事業は、時代と共に変化する保護者や地域の皆さまのニーズに応えるかたちで、少しずつ拡大していきました。「子どもたちのために」と奔走し続けた結果、現在では小美玉市・つくばみらい市・行方市の3地域において、保育所だけでなく、認定子ども園、児童養護施設、発達支援室、子育て支援センター、放課後クラブなど、幼児教育に関わるさまざまな事業を展開するに至っています。
今後も未来ある子どもたちや地域の皆さまのため、私たちにできることを考えながら、事業を継続発展させ子育ての明るい未来を切り拓いていきたいと考えています。

運営施設一覧

幼保連携型認定こども園
・玉里保育園
・はとり保育園
・ルンビニー学園
保育所
・玉里第二保育園
・ルンビニーみらい保育園
児童養護施設
・るんびにー
障害児通所支援施設
・こども発達支援室STEP
放課後児童クラブ
・玉里学園るんるん
・るんるんはとり
地域子育て支援センター
・子育て支援センター「るんるん」
・子育て支援センター「るんるんはとり」
・子育て支援センター「るんるんみらい」
・親子の広場「ぷちるんるんおがわ」
・親子の広場「ぷちるんるん」
グループ法人施設
・学校法人明光学園
ルンビニー学園幼稚園

Education
目指す保育・教育

子ども一人ひとりに目をかける

私たちの施設では、子どもたちを親のように(もしくは親以上に)受け入れ、一人ひとりにしっかりと目をかけることを目標としています。子どもたちに「丁寧な教育」と「しつけ」をきちんと行い、安全に子どもたちを預かること。これが私たちの使命であり、保護者や地域の皆さまから高く評価をいただいている所以です。

可能性を伸ばし、
豊かな心を育む教育

子どもは誰しも豊かに伸びていく可能性を秘めています。子どもたちには施設でのさまざまな体験を通して、創造力を伸ばし、情操を養い、自立心・協調心を身につけていってほしいと考えています。そのために、子どもたちが生き生きと過ごせる、あたたかい心の通った施設づくりを目指しています。

目指す子どもの姿 
〜命を大切に育む〜

明るく元気な子ども

健康で頑張れる子ども

正しく美しい心の子ども

礼儀正しい子・約束を守れる子

仲良く大らかな子ども

思いやりがあり、よく考え工夫する子ども

卒園児からの手紙 〜子どもたちの成長がつなぐ「絆」〜

施設を卒業した子どもたちがお祭りやイベントに遊びにきてくれたり、親となった卒業生の子どもが入所するなど、世代を超えてつながっていく「絆」は、照桑福祉会ならではの風景です。これからも地域に根ざし、地域で愛される施設を運営してまいります。

今度は先生になった
私の番

引っ込み思案で泣き虫だった私をぎゅーっと抱きしめてくれた先生がいたことは、これからも忘れないと思います。大人になった私は保育園の先生になりました。今度は私が子どもたちをぎゅーっとする側です。

(1990年代卒園)

いつも優しく
迎えてくれた先生

父の自転車の後ろに乗せられ、泣きべそをかきながら登園していた私をいつも先生が優しく迎えてくれました。私の結婚が決まったとき、風の便りを聞いた当時の先生が喜び懐かしんでくださったことを知り、感無量でした。

(1960年代卒園)

達成感が今の自分を
支える大きな糧に

忘れられないのがマーチングフェスティバル。大喝采の拍手の中戻ると、熱心に指導してくれた先生と見守ってくれた両親の目には光るものが。このときの達成感は自信につながり、大きな糧となって今の自分を支えてくれています。

(2000年代卒園)

一期生として過ごした
思い出の半年間

最初の園児として小学校入学直前の半年間を過ごさせていただきましたことが、大変懐かしく思い出されます。当時は、照光寺本堂が保育室でした。先生方はいつも笑顔で優しく私たち園児に接してくださいました。

(1960年代卒園)

私の夢は
あの頃からずっと…

私は決していい園児ではなかったと思います。それでも、私の夢はあの頃からずっと“保育園の先生になること”。私は大学を卒業し、その夢を叶えました。先生になりたい、と思わせくれた当時の先生のおかげです。

(1960年代卒園)

私という人間の
基礎になっている

鼓笛隊の練習は厳しくもありましたが、幼いなりに一生懸命頑張って、本番の大舞台で大きな達成感を味わい、自信になりました。幼いあの時期に保育園で学んだことは、私という人間の基礎になっているように感じます。

(1980年代卒園)

たくさんの思い出が
詰まった保育園

暑い夏がやってきて、組み始まったやぐらを見ると、色とりどりの浴衣を着て友達と歩き回った盆祭り大会を思い出します。今振り返ると色々なことを経験させてくれた、たくさんの思い出が詰まった保育園です。

(2000年代卒園)

とんでもない
問題児の私にも

私の保育園時代といえば、随分身勝手な振る舞いをしたことばかりを思い出します。今ならばとんでもない問題児で、退園にも値する子どもだったと思います。それでも忍耐強く接してくださった先生方には感謝でいっぱいです。

(1970年代卒園)

ちょっぴりお姉さんに
なったようで

お揃いの帽子にチェックのかばん、胸にかっこいいマークのついたブレザー。これが保育園の制服です。子どもながらにちょっぴりお姉さんになったようで、とても嬉しかったのを覚えています。

(2000年代卒園)

※50周年記念誌より一部抜粋

Entry
募集要項/ご応募

子どもたちの輝く未来を
一緒に育てましょう!